Part2 欧州へ

 

夕方近くに終着駅のウィーンに着きました。

 

横浜からは何十人かのグループでモスクワまで来ていましたが、この駅で降りたのは 3 人だけでした。ある人はパリに、他の人はプラハ、ヘルシンキとモスクワの駅でそれぞれの列車に乗ったのでした。

 

ホームに降り立つとそこには一月前にパリに行っていた友人 3 人が迎えてくれました。本当に会えるとは思っていなかったので、ここで彼らに再開できたのが嬉しかったです。

 

彼らがパリで買った中古のバンに乗ってウィーンの町に入って行きます。まず最初にスポーツ店に入り羽毛の寝袋を買います。これはこれからの旅に必要なものです。

 

その夜どこで食事をしたか覚えていませんが、アウトバーンをミュンヘンへと向かっています。車の中には数人が横になって眠れるスペースがあります。

 

秋のミュンヘンはオクトーバーフェスティバルの最中でした。体育館ほどもある大きなビヤホールがいくつもあります。それぞれのメーカーが自慢のビールを販売しています。私たちにとってはどれも知らないものばかりですが、とにかくジョッキーを買って乾杯をします。さすがにうまいビールです。その夜は公園内に車を止め一夜を過ごしました。

 

昼間はアウトバーンを走り、夜になったら着いたところの公園の中に車を止め、食事を作ります。この車の中には簡単な食事を作ることができるキッチンも付いているのです。

 

次の町チューリッヒでは湖の近くの公園で一夜を過ごしました。山と湖の静かな街です。

そして、ベースタウンのパリに戻ってきました。早速市内にあるオートキャンプ所に車を入れ生活の準備を始めます。

 

オートキャンプ場内にある店で、これからの生活に必要な食べ物などを買い求めます。

それほど大きなキャンプ場ではありませんが、トレーラハウスや車があちらこちらに止まっています。トレーラハウスをよく見ると電気が引かれています。ジプシーたちが長いことここで生活をしているようです。

 

私たちは、これからの旅行に付いて話し合いました。その結果目指すはアフリカのサハラ砂漠ということになりました。これは全員一致で決まりました。私にとって砂漠は昔からの憧れの場所でしたから、とてもエキサイトしました。

 

数日間はここに滞在して車の改造や持って行く食料の調達をします。この準備の合間にパリの観光を楽しみました。モンマルトルの丘には画家の卵たちがキャンバスに絵を描いています。ここを訪れる観光客が彼らの絵を買ってゆきます。

 

出発する前の日は一日休みをとってルーブル美術館に地下鉄で出かけました。とにかく広いし、たくさんの絵があります。数日かけてもとても全部を見ることはできないように思います。中学の教科書に出ていた絵が何点かあり、そうした既存の絵に出会えると懐かしさを覚えました。

 

とにかく見たかったモナリザを探して部屋から部屋へと走り回りました。絵の前に人だかりのある部屋があります。あっ、モナリザの微笑みでした。こんなに間近でいつまでも見ていられます。

 

すっかり満足してルーブルを出て、もう一館モネの蓮の花のある美術館に行きます。部屋の壁全体にぐるりと絵が描いてあります。部屋の真ん中にはソファーがあり、そこに坐って絵全体を見ることができるのです。

 

次の日の朝早くパリから南下してスペインに向かいました。今度は日本から来た私たち 4 人の他に日本から絵の勉強に来たパリ在住の画家さんも加わりました。

スペイン側の国境では車の隅々まで調べられ、車の内壁まで外して中を検査しました。私たちが乗っている中古のバンはパリで買ったものですが、内壁を外してまで見ていないので、何が出てくるだろうかと、検査官と一緒になり、じっと見ていました。

 

ピレーネ山脈を越えると人も空気も変ります。スペイン人の髪の毛が黒いこともあって、何か日本人に近いものを感じます。物価も安くなり、特にビールが安いので夕方車を止めキャンプに入るときには良く飲みました。料理も、魚介類が豊富で私たちには嬉しいことでした。

 

真っ直ぐに南下をして、地中海に出ます。秋の地中海には人影はありませんでしたが、夏には海水浴客でにぎわうのでしょう。海と砂の海岸がどこまでも続いています。

バルセロナの街に入り、コロンブスの像の下を車は通り過ぎてゆきます。ほとんど外食はしないで自分たちで食事を作っていたのですが、ここではパエリヤを食べるためレストランに入りました。

 

これからは西に進路を取りジブラタル海峡に向かいます。ここからアフリカのモロッコ行きのフェリーが出ています。ヨーロッパ最後の町ジブラタルではガソリンと水を数個のタンクに積め込み砂漠への準備をします。

 

 

part3 アフリカへ