Part3 アフリカへ

 

夕方暗くなりかけた頃、フェリーは地中海を航海します。

 

わりとあっけなくモロッコに着いとことを覚えています。翌朝、車は南へと大西洋を右手に見ながら走って行きます。目指すはカサブランカです。この町の名前はハンフリー・ボガートとイングリット・バーグマンの有名な映画で知られています。カサブランカと言う響きにはなぜか懐かしさを覚えます。 「カサブランカ!」 と叫びながら町を走っていました。

 

市内で車を止めていると近くの子供たちが集まってきました。日本人が珍しいのでしょう。車の中を見回して話しかけてきます。すると突然小さな女の子が、車の中にぶら下げていたビーズと紐でできた飾りを取って走り出したのです。その女の子の後を追い、そこにいた全員が走ってアパートの階段を上り、女の子が入ったドアの前で止まりました。少しドアが開き母親らしき人がビーズの飾りを返してくれ、すぐにドアは閉まりました。女の子はきれいなビーズの飾りが欲しかったのでしょう。私たち旅行者は彼らの生活に含まれていない異邦人です。私たちが彼らの生活を乱したのかもしれません。なんとも後味の悪い事件でした。

 

砂漠の中の茶色い都会と言った感じのこの町には、特に他に印象はありませんでした。

 

モロッコではフェスとマラケシという古い町に行くことになっています。砂漠の中に城壁で囲まれた旧市街地には網の目のように細い路地か続く、一度入ったら出られなくなりそうな街です。

 

もうすでにこの時代でも観光地化されていて、城壁の外にはアメックスのデラックスバスが止まっていて、中年のアメリカ人たちが周りにいました。町の中の細い路地にはたくさんの店がありモロッコの特産品を売っています。革でできたクッションカバーなどの革製品が色鮮やかに並び、真鋳に細工をした食器、蝋燭立てなどの貴金属類が所狭しと置いてあります。

 

路地から路地へと店を見ながら歩いてゆくと、ある戸口に男たちが群がっているところに出ました。男たちは中の様子を伺うように覗こうとしたり、聞き耳を立てています。ここは売春宿のようです。回教徒は一人の男が何人もの妻を持つことができるので、貧しい男達は結婚ができないのでしょう。

 

突然戸口が開き一人の男が出され、女が別の男の腕を取り中に入れ、すぐにドアは閉められました。一瞬の出来事でしたが美しい女性のように見えました。この人だかりはこの女性の人気を表しているのでしょう。町ごとに売春宿があるようです。

 

何件かのお土産屋さんを回り、革のクッションカバーと何かモロッコのお土産を買い、その後イタリアに着いた時にこれらを船便で日本の実家に送りました。

 

実家に帰ったのは 1 年後でしたが、お土産の話をすると、くさいので物置に入れてあるといいます。確かに日本では鼻を付く匂いがして使うことはできません。乾燥した砂漠のような国に適したものですから、買い物をしているときはほとんど気にならなかった匂いでした。お土産として買ったのですが、日本で見ると骨董品のように古びて見えました。

 

友人と二人で路地から路地へと探検をしながら歩いていると、若い女性とすれ違った時、突然腕を握られ、その女性はさっと走り去って行きました。びっくりして立っていると、近くにいたおじさんが、目で、後を追えと言います。私たちは走って路地から路地へと女性の後を追いましたが、どこかに消えてしまいました。カスバの中での千夜一夜物語のような不思議な体験でした。

 

夕方、どこかの町で車を止め休むことになりました。街の真ん中にある市場の近くです。寝る場所は車の中に 3 人、屋根の上に 2 人が横になり眠ることができます。

 

朝明るくなるとコーランが町中に鳴り響き目を覚まします。それぞれのモスクから拡声器でコーランは流れています。コーランを聞いていると本当に遠くまで来たことを実感します。

 

また別の街では少年たちが柔道をやっている体育館に入ることができました。日本人が来たというので珍しいのでしょう、少年たちのお母さんと一緒に見学していました。 5,6 人の小学生くらいの年頃の少年が柔道着て稽古をしています。回教の国モロッコで柔道を見るのは意外な出来事でした。

 

車は北東に進路を取り、隣の国アルジェリアのアルジェに向かいます。ここはフランスの植民地の時代が長かったので、フランス風の町並みがあります。ただ、フランス人たちがいなくなった街はメンテナンスの技術がないのか、お金がないのか古びた建物はどこもくたびれていました。古い美しい建物がたくさんあるのにどこもかしこも壊れているのが残念でした。

 

友達が街の中で写真を撮っていると警察官が来て警察署まで連れて行かれました。どうやら写真を取ってはいけない所で撮ったようです。今入っているフルムを抜くように言われました。このカメラにはモロッコに入ってからのたくさんの写真を撮っていたので、何とかお願いをして、普通の旅行者で何の意図もないことを話したのですが、聞き入られずフルムは抜かれました。肩を落として友人は車に帰ってきました。

 

ここでパリ在住の絵描きさんは船でマルセイユに行き、パリで待つ奥さんのもとに戻ってゆきました。

 

私たちはここから真っ直ぐに南下してサハラ砂漠に入ります。

 

走るにしたがい町並みは消え茶色の世界に入ってゆきます。砂と岩だけの世界です。でも道路は舗装され快適なドライブが続きます。オアシスがあるのでしょう。町並みがあり小さな市場があったので覗いて見ました。野菜の種類も少なくたまねぎ、にんじんなどだけです。アルジェからここまで来るのに畑らしきものにはなかったので、これらの野菜はどこから来たのか不思議な光景でした。

 

街を出るとまた砂と岩だけの世界になります。見渡す限りの茶色の世界、遠くに近くに岩山があります。

 

夕方車を止めキャンプをする頃には、夕日が傾きほんの小さな石ころにも長い影ができます。 日本では見ることのできない景色です。遠くの地平線に太陽がひずみかけ、どんな小さなものにも長い影ができるのです。

 

空の色が赤からだんだんと暗くなり星たちが出てきます。まもなく真っ暗になり星たちが降るように輝きだします。星の光しかない砂漠の真ん中では、人間はあまりにもちっぽけに見えます。

 

高校時代にどこまでも続く砂漠の中を体力の続く限り歩き続けたいと思ったことがありました。なぜ砂漠なのかはわかりませんが、砂漠に引き付けられるものがあったのでしょう。 20 代前半の頃、九十九里浜を 2 泊 3 日で歩いたことがありました。どこまでも続く海岸を、一人ザックを背負いながら歩いて行きました。 3 日目のお昼頃に銚子の街に出てこの旅は終わりました。

 

 

 

砂漠では昼間の暑さが一変して気温は下がってゆきます。真っ暗な暗闇の中、星たちに包まれて眠りに付きます。

 

朝には再び車を走らせどこまでも走ってゆきます。夕方近く、一軒の建物があり、そこは地下水があるオアシスになっていました。そこには老人と少年の二人が暮らしています。その庭先に車を止め一夜を過ごすことになりました。水が必要なら汲んでゆけと目で合図をします。私たちの車には水の入ったポリタンがいくつもあるので大丈夫だと言うことをジェスチャーで伝えます。

 

私たちの持っている野菜を老人に預けるとクスクスを作ってくれました。一緒に彼らの家の土間で、作ってくれたクスクスで食事を摂ります。砂漠での食事はとても質素でしたが、一緒に食事ができたことはありがたく思います。

 

あたりが暗くなったのでお暇をして眠りに付きました。車は南へと走り続けます。サハラ砂漠を 3 分の 1 ほど入ったところで、舗装道路はなくなり、岩だらけのごつごつとした道路になります。

 

これから先は砂の上を走らなければなりません。

 

左手に岩だらけの道路を確認しながら砂の上を走り続けます。昼間は暑さでタイヤが砂にめり込みやすいので、朝夕の温度が下がっている時、砂が締まっているので走りやすいと言います。

 

ここまで来ると他の車に出会うことはありません。丸一日ほどゆっくりと砂の上を走りました。こんな装備の車でこれから走ってゆくことができるのか不安があります。

 

昼間砂の上で休んでいる時、軍用トラックが横に来て止まりました。軍のトラックは水を運んでいるようです。二人の軍人が降りて来ます。この車で南下するのか。ガソリンや水はあるのか聞いてきます。軍のトラックはでかいタイヤで砂の上でも簡単に走っています。私たちのバンの小さなタイヤではこれからの旅が心配です。軍人はスリッパを履いていた友人を見て、さそりがいるから靴を履けと注意して、トラックに乗り砂埃を上げて走って行きました。

 

このままサハラ砂漠を南下して、ジャングルを通ってケニアのナイロビまで行けたら、インド行きの船に乗ることができるのですが、この車では行き着くことは難しいでしょう。砂漠はあまりにも厳しすぎます。車が途中で故障したら命に関わることになります。

 

私たちは話し合い、戻ることを決めました。余分な水を捨てて少し身軽になってから砂の上を北へと走ります。舗装道路に出たときはホッとしました。

 

アルジェに戻った時、二人は車で来た道をパリに戻ります。私ともう一人はここから船に乗って、マルセイユに向かうことになります。ヨーロッパ、アフリカと寄り道をしましたが、これからは目指すインドに向かって進んで行きます。

 

車と分かれた私たちはこの町で次の船が出るまで 2 日間滞在しなければなりません。ホテルは高く、安宿はほとんどありません。やっと見つけた安宿は、ベットもなく物置のような部屋です。鍵もなく、夜遅くなると隣の部屋からはアラブ人たちの話し声が聞こえます。床に寝袋を敷いて横になりますが、どちらか一方が起きていて見張っていなければ安心できません。

 

何事もなく朝を迎えましたが寝不足でボーットしています。重い荷物を持って市内を歩き回ります。この日も同じ所に泊まったと思います。

 

ようやく船に乗ることができました。船の中はアラブ人たちで一杯です。彼らはフランスに出稼ぎに行くのでしょう。夜の地中海を北にマルセイユに向かっています。

 

part4 再び欧州へ