Part4 再び欧州へ

 

夕方暗くなりかけた頃、マルセイユの港に着きました。

 

船の中で知り合った若いアメリカ人が、安いホテルを知っているので一緒に行こうと誘ってくれました。夜の知らない街でホテル探しは大変なので一緒に行くことにしました。

 

みんな荷物を持ってイミグレーションを通過します。

 

私たちはイミグレーションでパスポートを預けると、そのまま待っているように言われました。その間、乗っていたアラブ人たちはみんな手続きを済ませ出てゆきます。

 

広いイミグレーションの部屋には私たち二人だけしか残っていません。

 

もう 1 時間以上待っています。

 

誰も出てきません。前日に日本の赤軍派が何か事件を起こしたというのを聞いていました。それで私たち日本人が国境を超える時は全て調べられているようです。

 

アルジェで別れて車でモロッコに向かった友達は、モロッコの国境で足止めを食っていました。アルジェリアとモロッコの国境で車を止められ 3 日間動くことができなかったといって言っていました。

 

2 時間後に係官が来てやっとパスポートを返してくれました。

 

ホテルを一緒にと誘ってくれたアメリカ人はもういないだろうなと言いながら、無人の廊下を歩いて行きました。すると隅の方に人が坐っているのが見えます。彼はずっと待っていてくれたのです。

 

三人で港の建物を出て、街の方へと歩いて行くと、一軒の屋台がありました。

 

私たちは夕食を何も摂っていなかったので、そこでフランスパンに野菜とハムをサンドしてもらい、食べながらホテルに向かいます。

 

ホテルでは一部屋に 3 人で眠ることにしました。そのほうが安上がりになります。

 

部屋の中には大きなダブルベットとシングルベットがあります。

 

アメリカ人は真っ直ぐにシングルベットに向かいます。

 

残された私たちはダブルベットを見て顔を見合わせます。

 

ここで、二人で眠ることになります。疲れていたのでシャワーを浴びすぐに眠り始めました。

 

翌朝、ホテルを出る時にアメリカ人とは別れてそれぞれの旅に出てゆきます。

 

私たちは駅に向かいローマ行きの列車に乗りました。

 

列車はコンパートメントに分かれていて、ガラス張りになっているので廊下から中が見えるようになっています。

 

私たちは終点のローマテルミニステーションまで行くので、途中色んな人たちが乗ってきました。

 

子供やおばさんたちと折り鶴を折って遊んだり、コンパートメントでタバコを吸っておばさんに追い出されたりしながら、夜になるとコンパートメントは二人になりました。

 

座席を引いて寝る態勢を整えます。夜中時々誰かが覗いていましたが、二人でぐっすり寝ていました。そのまま朝ローマに着くまで寝ていたようです。

 

ローマは遺跡の中に街があるようなところです。

 

古い建物が今もこうして使われているのは驚きでした。ここで二日ほどローマの休日を楽しみます。

 

ヴァチカンでは、法王のミイラに気持ちが悪くなり、スペイン広場では、階段に坐って通り過ぎる人を見ていました。

 

スペイン広場の近くの郵便局からモロッコで買った皮のクッションカバーなどのお土産を船便で日本に送りました。これでだいぶ身軽になりました。

 

トレイビの泉は、狭い建物の間にあったのでビックリでしたが、とりあえず後ろ向きになってコインを投げました。又いつか戻って来たいと思いながら、 20 年以上も経ってしまいました。

 

バスの窓からコロシアムが見えます。現代と古代が一緒になった町の象徴のような建物です。そして、再び列車に乗ってアドリア海側の港町アンコーナに向かいます。

 

 

 

ここから船に乗りギリシャのパトレーに行きます。

 

この船には色んな国の若者たちが乗り合わせてきます。

 

私たちのほかに日本人の若者もいます。

 

ここから東への旅の途中で色々な人たちと出会ってゆきます。

 

目的地が一緒ならそこまで一緒に行き、宿を見つけたり、次の乗り物を探したりしながら共同で旅をします。そして行き先が違うとまた分かれ分かれに行きます。

 

船は静かな海を明るい日差しの中進んで行き、右手にアルバニアのなだらかな丘が見えています。丘を見ながらアルバニアに憧れていた友達を思い出していました。

 

夜になりエコノミークラスの私たちは椅子席で眠ることになります。

 

なかなか寝付かれませんが、椅子のクッションを床に敷き横になってみると意外と寝やすく、あっという間に寝てしまいました。

 

午前中にギリシャの港町に着きました。

 

船の中にいた何人かと誘い合わせて、近くの遺跡を見に行きました。

 

遺跡は明るい光の中に静かに立っています。

 

ここは観光客も少なく落ち着いた佇まいです。

 

ギリシャの海の見える田舎道は、青い空と海に白壁の家、オリーブの木、茶色の道、明るい日差しに色鮮やかに配色されています。

 

人影のない小さな駅でアテネ行きの列車を待ちます。

 

アテネではユースホステルに宿泊して、早速アクロポリスの丘に向かいました。

 

丘の上までの長い坂道をゆっくりと歩いて登ります。

 

巨大なエンタシスの柱が立ち並んでいます。

 

その一つの柱の下に座り、ゆったりとした時間を過ごします。

 

遠くアテネの街々を臨みながら、これができた時代のことを思い、また今の自分に帰ってきます。

 

唯一アクロポリスの丘を除いては、アテネはそれほど魅力的な町ではありませんでした。

 

ここから列車でトルコのイスタンブールに向かいます。

 

いよいよシルクロードに入って行きます。

 

これからの旅行のため、できるだけ身軽にしたかったので、日本から持ってきた一眼レフのカメラをアメリカ人の若い旅行者に売りました。

 

何人かに声をかけたらすぐに彼が来てなぜ売るのか、壊れていないかと聞いてきます。

 

自分はこれからインドに行くので身軽にしたかったこと、カメラはとてもいい状態であることを話したら納得してくれ、 500 ドルで買ってくれました。

 

当時のレートは 1 ドル 300 円くらいだと思います。

 

アテネから列車に乗りトルコのイスタンブールに向かいます。

 

ヨーロッパ側のシルケジ駅に着きました。

 

海峡の向こうはアジアです。

 

列車から降り、坂道をブルーモスクへと向かいます。

 

このモスクの近くに、安宿が点在しています。

 

色々なモスクに出かけましたが、ここで一番印象に残っているのはガラタ橋です。

 

この橋は浮き橋になっているので船に乗っているように揺れるのです。

 

そこをバスや車が走っています。

 

私たちも何度もこの橋を行ったり来たりして楽しみました。

 

たくさんの人が行き来をしているこの雑踏は好きな場所でした。

 

この橋は旧市街と新市街を結んでいます。

 

橋の近くの岸辺には小船の中で小魚を揚げて売っていて、頼むと新聞紙に入れて渡してくれます。

 

これから列車でテヘランに向かうので、イラン領事館にビザの申請に行きました。

 

すると係官は今月から日本人にはビザが必要なくなったと言います。

 

半信半疑でしたが信じるより仕方がありませんでした。

 

イランの国境で分かることでしょう。